中国共産党独裁政権はアブドゥゲニ.ムハメットイミンを逮捕し、家族を脅迫している
東トルキスタンを侵略し、植民地にしている中国政府は、100万人におよぶウイグル人を逮捕し、正当な裁判もなく処刑し、拷問し、財産や土地や資源を奪ってきた。
この事実を海外に告発しようとしたり、公正な待遇を求めたりした人たちは弾圧され、処刑や無期懲役、労働改造、軟禁などに回された。処刑や収監を免れても、職場を解雇されるなど、社会的地位を奪われた。
アブドゥゲニ・ムハメットイミン(Abdugheni Muhemmetimin)もまた、東トルキスタンを愛し、正義のために事実を告発しようとした人物である。彼は1964年1月にカシュガル市コーガン(Qoghan)郷で生まれた。その後、父親の仕事の関係でアトシュへ行き、そこで小学校から高校までを過ごした。1981年9月、新疆師範大学の化学科に合格し、1986年7月、優秀な成績で卒業した。
Abdugheni Muhemmetimin
彼はこの師範大学の5年生のとき、1985年12月12日にウルムチで行なわれた学生運動のデモに参加した。このとき、ウルムチでは3万人のウイグル大学生や専門学校生が、中国の一党独裁による恐怖政治やウイグル族への弾圧、民族差別や人権侵害、経済的な権利の搾取、核実験による環境破壊、大規模な漢族移民によるウイグル人の安定と平和の侵害、漢族による犯罪の頻発、計画生育政策(ひとりっ子政策)を非難し、民主選挙や言論の自由、民族平等などを求めて学生運動を繰り広げていた。
アブドゥゲニは民族主義者に反対する漢族学生のために、ウルムチ天山区の警察に3日ほど拘留された。彼の同級生らは学校に頼んで彼を釈放してもらうようにしたが、档案(アーカイブ。中国では国民ひとりひとりについて、その出自、履歴、思想、言動などをすべて記録に残す。その記録。ここに反革命的だなどと記述されてしまうと、一生を棒にふることになる)に、「民族感情が激しく、在校期間中に処分を受けた」などと書かれてしまった。
中国当局は、1985年12月12日のデモに参加した学生に反撃を開始した。まず全員に献血を強制した。献血しなければ卒業証明書を出さない、戸籍上の手続きや就職斡旋もしないと学生たちを脅した。こうして1986年卒業のウイグル、カザフ、キルギス、ウズベク族の学生らは献血させられた。
アブドゥゲニは卒業後、カシュガル地区の教育部門に就職の届け出を提出した。彼は成績優秀だったが、当局はなかなか彼に仕事を与えず、しまいに田舎のウルグチャット(Ulugh
chat)県というところに追いやったのである。アブドゥゲニはこの公正でない配属を拒絶し、教育部門に交渉し、卒業後4カ月も経った11月になって、ようやくカシュガル地区の紡績工場の学校教師として就職することとなった。
彼は熱心に勤めたが、心の中ではウイグル族ばかりが当局の政治学習に参加させられることに悩んでいた。これはつまり当局の民族差別だった。そればかりか、人権侵害や血なまぐさい弾圧が頻発していた。
そんななかで、2001年、ついに彼は友人の紹介で、ドイツの東トルキスタン情報センター(ETIC)と連絡を取り合うようになったのである。
彼は2001年10月から2002年7月まで、中国当局のウイグル人に対する弾圧に関する方針や、宗教.文化消滅政策、人権侵害などについての資料や情報を収集し、ドイツのETIC
に送り続けた。これらの資料は、新疆ウイグル自治区内で公表された公文書や、発行されていた新聞などであった。通常の国家で、このようなものを外国に送ったとしても、罪に問われることはないだろう。
しかし、アブドゥゲニは2002年7月26日、カシュガル地区国家安全局の警察に逮捕された。その後、カシュガル民族病院に勤める彼の妻は、中国の秘密警察に脅迫されることとなった。警察はアブドゥゲニをカシュガル地区安全局の刑務所に入れているのに、彼の家族に「もし彼の知人や教え子たちに彼の所在地を聞かれたら、ウルムチに出張中だと答えろ」といった。
家族と、彼の親友たちはみな非常に心配し、彼の居所を突き止めようとしたが、ようとして知れなかった。彼らは妻に彼はどこかと訪ねたが、安全局の警察はさらに妻を脅し、「彼は西安に研修に行ったと答えろ)」と脅かした。
警察はまたアブドゥゲニの逮捕について、「彼の友人や教え子にはいうな、さもなければおまえも逮捕するぞ」と妻に告げたのである。
アブドゥゲニの逮捕のあと、警察は彼の家の電話線を切断した。アブドゥゲニの親友や知人たちは非常に長い間彼の行方を知るすべがなかった。アブドゥゲニの家のコンピューターはカシュガル地区国家安全局が没収した。
侵略者中国当局は自らの悪行を隠すために逮捕を繰り返し、ウイグル人の知識人を迫害し家族を脅しているのだ。アブドゥゲニは拷問や虐待を受けている。状況は予断を許さない。妻の心労はいかばかりか。アブドゥゲニと家族が元気にともに暮らすことが一刻も早く実現するよう、私たちはあらゆる努力を尽くす所存である。
2003年6月カシュガルで行われた裁判会では「アブドゥゲニは弁護士は要らない、自分で弁護する」と言ったと、判決書に書いてあるが、法律の勉強していない彼は弁護士要らない、と言うべはずは無い。安全局の局の刑務所で拷問し、彼を脅かし、裁判会で事実について発言しないように、警察が教えた通りに言うように脅かされたのである。愛国者、優秀な教師であるアブドゥゲニは2011年7月25日まで9年間の懲役にされてしまったのである。彼は今カシュガル地区安全局の刑務所にいる。
中国侵略者政権は東トルキスタンで国家テロを行い、ウイグル民族を弾圧しているのである。
ウイグル太郎
東トルキスタン情報センター
2004年9月20日
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