カシュガル市でアブドゥゲニ・ムハメットイミンが逮捕され、9年間の懲役となった
2002年7月26日、カシュガル地区綿織物工場高校の教師アブドゥゲニ・ムハメットイミン(Abdugheni
Muhemmetimin)が逮捕され、2003年6月24日新疆ウイグル自治区カシュガル地区中級人民法院の(2002)Q.O.S.J.D.199号判決によって、懲役9年、政治的権利剥奪3年の有罪をいい渡された。
アブドゥゲニ・ムハメットイミンは1964年1月9日カシュガル市生まれ、1986年7月にウルムチにある新疆師範大学化学部を卒業し、カシュガル地区綿織物工場の高校の教師をしていた。
中国共産党政府は東トルキスタンで行なっている野蛮な人権侵害を世界だけでなく、中国国内にさえ隠し通している。この人権侵害の現状を海外に知らせようとした人びとを政治犯にし、逮捕し、刑務所に入れてきた。アブドゥゲニ・ムハメットイミンはその犠牲者のひとりである。
アブドゥゲニ・ムハメットイミンは2001年10月からエリキンとともに、ドイツに本部を置く東トルキスタン情報センターに東トルキスタンで公式に発表された記事、民族圧迫、弾圧、人権侵害などの記事を送っていた。エリキンはアブドゥゲニの高校時代からの親友であり、同センターの記者として極秘に活動していたが、2002年7月末に中央アジア経由でトルコに亡命している。アブドゥゲニは同センターとエリキンに協力したことが露見し、逮捕された。
以下の判決文中には、たびたび民族分裂主義思想という言葉がでてくる。日本語ではこのように訳すのが正しいと思われるが、正確な中国語では「思想・意識形態での民族分裂主義」という言い方がされている。つまり具体的な分裂の行動ではなく、人々の気持ちや意識の中での民族分裂主義でさえ(中国側からすれば分裂主義であろうが、ウイグル人からすれば、これは独立主義である)、取り締まりや処罰の対象になると当局は考えており、厳しい取り締まりや政治的プロパガンダが展開されているのである。簡単にいえば、「中国から独立したい」「ウイグルの国を作りたい」と頭で考えただけで、逮捕されかねないということである。これを恐怖政治と呼ばずして、なんといおうか。
東トルキスタン情報センターはアブドゥゲニへの判決書を入手してから、アムネスティ・インターナショナル、国連人権組織、アメリカ人権組織、ドイツ人権組織などに公表した。アメリカの自由アジアラジオ(RFA
www.rfa.org
)が2004年7月23日、7月31日、8月1日、8月2日にアブドゥゲニの逮捕とエリキンの亡命について報道した。国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が中国の胡錦陶国家主席に手紙を出し、アブドゥゲニ・ムハメットイミンを解放するように要求した。アムネスティ・インターナショナルが間もなくアブドゥゲニ・ムハメットイミンの逮捕についてレポートを発表する。
ウイグル太郎
東トルキスタン情報センター
2004年8月19日
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附:(ご参考に)
アブドゥゲニ・ムハメットイミンへの判決書の全文。
新疆ウイグル自治区
カシュガル地区中級人民法院
刑事訴訟判決
番号: (2002)Q.O.S.J.D.199
公訴人:新疆ウイグル自治区検察院カシュガル分院
被告人:アブドゥゲニ・ムハメットイミン、ウイグル族、男、38歳、大卒、カシュガル地区綿織物工場高校教員、カシュガル地区ウイグル医病院官舎に居住、前科なし。現在、カシュガル地区国家安全局刑務所に拘留中。
被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミン(Abdugheni Muhemmetimin)は、新疆ウイグル自治区検察院カシュガル分院の公訴状No.
178により、2002年10月21日に、「民族分裂主義の目論見によって国家の統一性を脅かし、国家の秘密を侵して国外に通報した」罪により起訴された。このため、当法廷は、憲法に従い、公開裁判において被告人に判決を言い渡した。新疆ウイグル自治区検察院のエヘット・ズヌン(Ehet Zunun)とアブレット・ウメル(Ablet
Omer)が出席し、被告の弁護は被告人自身によって行なわれ、当法廷は判決を下した。
新疆ウイグル自治区人民検察院カシュガル分院は、アブドゥゲニ・ムハメットイミンを次の罪により起訴した。
1) 1996年から2001年までの間、被告人はエリキンの指示により、インターネットを通じて東トルキスタン情報センターの新聞「火花」を紹介され、考え方を変えた。そして、エリキンと共謀し、エリキンの手配に従い、被告人はエリキンとともに「火花」紙上に掲載されていた「東トルキスタンにおける野蛮な人権侵害」と題されたレポートを中国語に翻訳した。
2) 被告人はエリキンとともにカシュガル地区ペイズワット県で「ある教員が宗教の活動を理由にその地位から解任され」、「彼を助けようとした3人が警告を受けた」件についての新聞記事をエリキンのコンピュータを使ってドイツに発信した。
3) 「国家統一の維持と民族分裂主義に対する長期戦略」をテーマとした「三級幹部会議」におけるカシュガル市共産党委員会の書記張健氏のスピーチをエリキンと一緒にエリキンのコンピュータからドイツに送信した。
4) カシュガル地区政府主席カミル・アブドゥラ(Kamil Abdulla)による「民族分裂主義思想への対処」と題されたスピーチをエリキンと一緒にエリキンのコンピューターからドイツに送信した。
5) カシュガル地区トックザク(コナシェヘル)の教員が、宗教への固守を理由に解任されたというニュースを被告人自身よってドイツに送信した。
6) カシュガル市コーガン(Qorghan)郷の教員がイスラム教のクルバン祭の時に、共産主義の儀式(昇旗儀式)への参加を強制しているというニュースを送信した。
7) 「カシュガルにおける夜間の大規模な侵略」、「2002年5月カシュガル地区ポスカム県ジマ郷で3人の傀儡幹部がハンマーで殺された」と題したニュースをドイツに送信した。
8) イマムハサン(Imam
Hasan)が、トルガルトの検問所で中国人の安全警察により逮捕され、ウルムチの刑務所に入れられたというニュースをドイツに送信した。
9) 民族分裂主義思想反対のスローガンのもと、多くの書籍が没収され、燃やされたというニュースを流した。
10) 中国国家安全局の20人の職員がビジネスマンに変装して中央アジアに潜入したというニュースを流した。
11) 新疆ウイグル自治区共産党委員会の王楽泉書記と朱興陶秘書長の「国家の統一を維持し分裂主義に反対する」と題された2002年5月3日の電話・テレビ会議におけるスピーチをドイツに送信した。
12) 国家分裂主義思想者、民族分裂主義思想者に対するカシュガル人民政府の闘いについて収集したニュースをドイツに送信した。
13) 東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ(Abduljelil)主席の要求に基づいて、「ホテン(和田)空港の拡張のプロジェクト」、「東トルキスタンの南への旅」や「カシュガルにおける夜間の大規模な捜査が行われた」と題されたニュースをドイツに発信した。
14) 東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の要求に基づいて、被告人は、東トルキスタン情報センターの声明を中国語に翻訳し、「Umid」(希望)のコードネームで新聞「火花」の中国版の責任者を引き受けた。
15) エリキンから電話代として350元を受け取った。
16) 東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の要求に基づいて、彼がカシュガル地区ポスカム(Poskam)県とカルギリック(Karghilik)県で秘密の通信員のリポーターとメンバーを探した。
17) ウイグル語-中国語の言語ソフトウェアをドイツの東トルキスタン情報センターに送った。
18) 東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の要求に基づいて、レポータを探すとともに、この目的に用いられたコンピュータから送られたニュースを削除する方法について指示を受けた。
被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、彼の全ての行動が、国家の統一に対して向けられたものであり、国家の秘密を国外に送信したことにより起訴されたものであって、それゆえ刑法に従って長期の懲役の判決を受けるべきものである。被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、彼に対する起訴事実を認めた。しかし、上述のソフトウェアを送ったのは彼自身ではなく、ソフトウェアはエリキンに渡したものであると主張している。また、カシュガル地区人民政府主席カミル・アブドゥラによる「民族分裂主義思想者に対する対処」と題するスピーチを送ったのは、彼自身ではないとも主張している。被告人は、「被告人に対する起訴事実を認めたということ」、そして、それが他の事件の解決を助けたということについて、情状が酌量されるべきであるとも言っている。我々の調査によれば、被告人のアブドゥゲニ・ムハメットイミンは、国家の分裂を望む国外のいくつかのテロ組織と協力し、彼らに対して1996年から2002年までの間に、エリキンの指導により考え方を変えて、国家分裂、国家機密を流すようになった。2001年の秋からエリキンの指示と援助のもとで国家の機密を送信した。被告人は、サムソン社製のコンピューターと方正社製のスキャナーを使って、以下の情報とニュースを東トルキスタン情報センターに送信した。
1.1996年から1997年の間、被告人はエリキンからインターネットを通じて東トルキスタン情報センターの新聞「火花」を紹介され、考え方を変えた。2001年の秋に、エリキンと共謀し、「火花」紙上に掲載されていた「東トルキスタンにおける野蛮な人権侵害」と題されたレポートを中国語に翻訳した。エリキンは、その翻訳記事を東トルキスタン情報センターに送った。
2.2002年3月、彼は、エリキンの呼びかけに従ってカシュガル地区ペイズワット県で「ある教員が宗教の活動を理由にその地位から解任され」、「彼を助けようとした3人が警告を受けた」件について報道したカシュガルの新聞記事を用いてレポートを作成し、エリキンに提供した。それはエリキンによって東トルキスタン情報センターに送られた。
3.2002年2月発行の公刊新聞に掲載された、「国家の統一性の維持と民族分裂主義
に対する闘争は長期的な戦略である」をテーマとした「カシュガル市三級幹部会儀」におけるカシュガル市共産党委員会の張健書記のスピーチをウイグル語に翻訳し、エリキンのコンピュータから送信した。
4.2002年4月カシュガル地区人民政府主席カミル・アブドゥラによる「民族分裂主義思想に反対する」と題されたスピーチをエリキンに読み、エリキンはパソコンで整理してコンピューターでドイツに送信した。
5.カシュガル地区トックザク(Tokkuzak)の教員が、宗教への固守を理由に解任されたというニュースを被告人自身よって送信した。
6.カシュガル市コーガン(Korghan)郷で、クルバン祭の日、お祭りのお祈りの儀式が行なわれる時に、ウイグル教員を動員して共産主義の儀式(昇旗儀式)への参加を強制しているというニュースを被告人自身によって送信した。
7.被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、「カシュガルにおける夜間の大規模な捜査」、「2002年の5月カシュガル地区ポスカム県ジマ郷で3人の傀儡幹部がハンマーで殺された」と題したニュースを送信した。
8.被告人は、2002年5月、イマムハサン(Imam
Hasan)氏が、トルガルトの検問所で中国人の安全警察により逮捕され拘留されたというニュースを送信した。
9.2002年6月、被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席から、「人民に対する様々な公開・非公開の裁判、起訴、判決」についてのニュースを集めるよう指示を受けた。ただし、この指示は完遂できなかった。
10.2002年6月、被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、思想意識形態の民族分裂主義に対する対処によって、多くの書籍が没収され、全て燃やされたというニュースを流した。
11.2002年7月、被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、中国国家安全局の20人の職員がビジネスマンに変装して中央アジアに潜入したというニュースを流した。
12.2002年3月、被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、王楽泉書記と朱興陶秘書長の「国家の統一を維持し分裂主義に反対する」と題された2002年5月3日(電話・
テレビ会議)のスピーチをドイツに送信した。
13.
2002年7月、被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、「民族分裂主義思想に対するカシュガル人民政府の闘い」について収集したニュースをドイツに送信した。
14.東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の要求に基づいて、「ホテン空港の拡張のプロジェクト」、「東トルキスタンの南への旅」や「カシュガルにおける夜間の大規模な捜査」と題されたニュースをドイツに発信した。
15.
東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の要求に基づいて、被告人は、東トルキスタン情報センターの声明を中国語に翻訳し、「Umid」のコードネームで新聞「火花」の中国版の責任者を引き受けた。さらに、東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の要求に基づいて、レポーターを探すとともに、この目的に用いられたコンピュータから送られたニュースを削除する方法について指示を受けた。
16.
2002年7月、被告アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席の指示により、エリキンが育成した極秘のニュースレポーターをテストするため、<民族分裂主義思想に反対する>という運動について評論を書くように求めた。この時、被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、東トルキスタン情報センターの主席に対して、インターネットを通じて、「このような行動を続けていると、私はいつか見つかってしまうでしょう。あなたがおられる場所には多くのインターネット・サービス・プロバイダーがありますが、ここにはひとつだけしかありません」と言っている。アブドゥジェリリは被告人に、「あなたは、使用しているコンピューターのメモリーやゴミ箱から、送ったメッセージをすべて削除するべきだ。そうすれば、あなたは見つかることはない。他人の電子メールアカウントを使用するのもいい。そうすれば、何も見つからないでしょう。私たちは、あなたがたが逮捕されたら、釈放のために圧力をかけてあげます」と答えた。
上述を立証する証拠:
1) 被告人アブドゥゲニ.ムハメットイミンは上記すべてを認めた。
2) カシュガル地区政府の三級幹部(郷、県、地区レベルの幹部)会議に関する資料とカミル・アブドゥラのスピーチは、アーカイブに入っている。
3) 被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンによって書かれたニュースのウイグル語版3件と中国語版2件が、「カシュガル新聞の中国語版」と題されたファイルのなかに残されている。
4) 被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンによって使用されたコンピューターおよびスキャナについて、彼は使用を認めた。
5) 秘密資料についてまとめられた当自治区情報局の報告書がファイルのなかに残されている。
6) 被告人アブドゥゲニ.ムハメットイミンの家から押収した物件のリスト、および、彼がこれらのものを彼自身で提出したことについての報告書は、アーカイブに入っている。当法廷は、上記で言及された資料および事実をすべて検査し、検討した。
当法廷の判決:
被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、わが国憲法のいくつかの条項を犯し、共犯者エリキンと共謀して、東トルキスタン情報センターが分裂主義組織であると知りながら、東トルキスタン情報センターのアブドゥジェリリ主席により繰り返された要求に応じて、国家の機密情報を国外に漏洩した。「被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンは、国外に国家機密情報を漏洩する罪を犯した」とするカシュガルの政府検察官の起訴は有効なものであると認め得る。しかしながら、「被告人が国家の保全を脅かした」という罪については認められなかった。当法廷は、被告が国家機密漏洩を犯した罪についてのみ確認する。「民族分裂の意図はなかった」とする被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンの主張は認められないという言い分は受理されない。「私は、王楽泉書記および朱興陶秘書長のスピーチをすべて送ったことはなく、要約を作成したとは言え、要約を送ったのは自分自身ではない。それはエリキンによって全文が送られたのであり、私が与えた2枚のCDの場合と同様にエリキンによって東トルキスタン情報センターに送られた。私は罪をすべて認めており、このことについて情状酌量して頂けるよう法廷に求める」という被告人の主張は、いくつかの真実が含まれると考えられ、判決において配慮すべきであろう。
被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンの罪は重大であり、国家機密へのダメージは大きく、従って厳罰を下さざるを得ない。判決は中華人民共和国刑法第111条、パラグラフ55、56、68および69に基づき、国家機密情報の妨害を償い、かつ政府および社会主義法の命令を守るよう意図されたものである。
被告人アブドゥゲニ・ムハメットイミンを懲役9年の刑に処し、政治的権利を3年間剥奪する。
服役は2002年7月26日から2011年7月25日までとする。この判決に対する不服は、新彊ウイグル自治区高等法院に10日以内に申し立てることができる。その際は原本に複写2部を同封すること。
裁判長: アブリミット・ユスプ(Ablimit YUSUP)
裁判官: オブリカスム・トフティ(Obulkasim TOHTI)
裁判官: ケンジ・スディック(Kenji SIDIK)
2003年6月24日
(公印)
書記: ヌルムハメット・ロズィ(Nurmuhammet ROZI)
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