北京から中国全土、東トルキスタンまで広がった民主化デモ
1989年4月から6月にかけて、ウイグル人で北京師範大学の学生だったオルケシ(Orkesh 日本では中国語訳のさらに日本語音訳であるウアルカイシと呼ばれ続けているが、ウイグル語の正しい名前はオルケシである)らの指導下で民主を求める大規模のデモが起こった。
中国の各地から北京に集まった青年は100万人にのぼった。天安門広場に集まった学生は“静座”、“絶食”など続けて、中国国民の応援を得て、独裁政権を倒し、民主政権を成立しようとしたが、6月4日中国共産党の解放軍(戦車、射撃)によって血生ぐさく鎮圧されてしまった。天安門広場には彼らの血と肉があふれ、染み込んでいった。
死者は公式には32人と公表したが、実際はその百倍もの学生が犠牲になったのである。後から報復で逮捕、殺害された学生や市民はもっと多い。
当時、北京、上海、南京、西安、蘭州の大学に在学していた300人以上のウイグル人学生も北京に集まって、デモに参加したのである。
東トルキスタンのウルムチでは、5月の後半に、学生組織が成立し、デモをはじめていた。教育の場を武力で監視したり、生まれてくる赤ちゃんの数まで管理する計画生育、名ばかりの自治など、中国共産党の民族弾圧に反対するスローガンを叫び、「民族国会を創ろう」と呼びかけていたのである。
学生運動は東トルキスタン国民によって応援され、傀儡政府が麻痺状態に陥るほどだった。民衆はこの機会に、ウルムチで「4000万人の共産党員を死刑台にあげよう」とまで考えていた。それほどにウイグル人たちは共産党政権を脅かしたが、結局は、天安門での弾圧後、東トルキスタンでも徹底した弾圧が行なわれた。
デモ参加者はブラックリストに載せられ、一部は逮捕、一部は監督下に置かれ、他は大学を除名され、一部は就職を禁止されてしまった。
1989年夏の、この民主化運動は日本でもよく知られていると思うが、よくあの事件を思い出していただきたい。あれこそ、本当の中国国民たちの本音だったのである。あの事件を経験した人たちは今もたくさん生きている。今も遺族が事件の真相究明や再評価を求める活動を続けている。15周年にあたる今年、追悼行事を行なおうとした遺族が、身柄を拘束されたりしている。
しかし、このような人たちの思いは完全に封印され、メディアに出てくることはない。今反日や愛国を叫ぶ青年たちは、みなあの事件を知らずに育った世代である。
そして、日本ではあまり知られていないようだが、同じ夏、東トルキスタンでも大規模な運動が起きていたのだ。このとき、東トルキスタンに流れてきた漢人は“共産党政権を倒して民主政権を作ろう”と考えて行動していたが、東トルキスタン国民の目的は共産党政権を倒し、東トルキスタン共和国を独立させることだった。
ウルムチでのムスリム青年たちのデモ
民主化運動が盛んだった1989年5月18日、ウルムチでは、さらに中国の反イスラムに抗議するデモも起こった。中国の出版社が“性と伝統”という本を出版したのだ。本の内容はイスラム反し、イスラム教を侮辱するものであった。
5月18日ウルムチのイスラム大学のウイグル学生がデモを起こし、19日にウルムチ市民が合流し、参加者は1万人以上に上った。“Lailahe
Illallahu,Muhemmedin Resulilla(アッラは唯一の神であり、ムハメットはその使者である)”、“イスラムを守ろう”などのスローガンが書かれた青い旗を持った人々は、ウルムチ市を回り、イスラムを侮辱した犯人を捕まえるように要求したが、無視されてしまった。
学生や市民は怒って、ウイグル自治区人民代表大会オフィスビル、ウイグル自治区共産党委員会オフィスビルに入り込み、車から窓ガラス、設備などを壊して、デモを抑えようとした警察、兵士などを捕らえて、住宅などに監禁した。
19日の夜、共産党侵略者が大部隊を派遣し、ウルムチ市で戒厳令を敷いて、自治区共産党委員会オフィスビルの前の人民広場にいるデモ参加者を逮捕し、モスク、学校、ウイグル市民の自宅まで捜査し、多くのウイグル人を逮捕した。広場で逮捕されたウイグル人の中に12歳、14歳の女児さえいた。彼女らも3年間収監されたのである。
自治区共産党委員会、自治区政府の公務員の中にもウイグル人が多数いたが、イスラム教を信仰した“罪”で他のデモ参加者と一緒に逮捕され、ひどく拷問され、自分たちが勤めてきた政権の実態を身をもって知ることとなった。
東トルキスタンで民族運動があるたびに“顔色で逮捕する”政策がある。この場合、日本では肌の色とでもいうほうがしっくりするだろうか。民族差別が政策となっている。漢族でさえあれば、無条件に貴族になれる。たとえ、中国内ではまずしくとも、東トルキスタンに移民すれば、そのときから貴族になれるのだ。中国内では農民以外は子どもを一人しか生めないが、東トルキスタンに来れば、子どもを二人まで生めるなど、多くの優遇政策がある。
しかし、もともとの東トルキスタン国の主人であるウイグル族は、ウイグル族であるがゆえに、なんの落ち度もなくても、逮捕・弾圧の対象となってしまうのである。それが共産党のこの土地における政策である。
平時も、侵略者の警察は毎晩犬のように町を歩き、ウイグル人を見つけたら、無差別に身分証をチェックする。もし家に置いてきてしまっていたら、それだけで、逮捕して刑務所に入れてしまう。彼らになんの罪も見つけられなくても、罰金だけは取り上げる。捕まった人間はそれでやっと家に帰ることができるのだ。ウイグル人は“東トルキスタンは露天刑務所だ”と言っているのである。
(続く)
東トルキスタン情報センター
ウイグル太郎
2004年4月18日
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