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         東トルキスタン情報センター  2004        

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2004年4月5日

侵略者が連鎖組織を捜査して逮捕した


1962年グルジャ、チョチェックでの弾圧後、インドー東トルキスタン国境で戦争が始まった。この戦争はカシュガル地区の西南の山地で起こって、“インドー中国戦争”と呼ばれた。東トルキスタン国境辺りで“東トルキスタン救国ラジオ”が幅広く宣伝をしていた。東トルキスタンの独立に有利なチャンスがやってきた。東トルキスタン国民は独立の有利な海外の組織と連絡を強めた。当時9つの地下組織が連絡、協力し、武装闘争を計画していた。当局がこれらの組織を捜査し、スパイを派遣し一部の内情を入手して、組織のメンバー、非メンバーでも勤め先、自宅、通りで多数のウイグル人を逮捕し、拷問し、リストを広げて、もっと逮捕を広げて、3万人を逮捕して刑務所で殺害した。当時“東トルキスタン人民革命党”の名前を隠して、“連鎖組織”と呼んでいた。

アクス地区蜂起

1962年アクス人民が各県で武装グループを広げて武装蜂起の準備を始めた。ヤスノフ(Yasinov)が東トルキスタン人民革命党のセンターの指示により、カラシェヘル河を爆発させる、当局のガソリンスタンドを爆発させる、サイエリックの方から来る侵略軍を防ぐ、ウチトルパン(Uch Turpan県、アクス市の西北にある、キルギスタンとの国境に近い)を中心にオルケシタム国境(カシュガルの西北にある南キルギスタンとの国境地帯)辺りを占領するなどの命令を受けた。外国の援助を得ることも大事だった。1962年8月17日中国侵略者の豚を殺す運動が起こし、多くの豚を殺した。火薬庫の場所についての指示を持ってウルムチからアクスに来ているゲリラグループが侵略者に包囲され、ウルムチにバックしなければならなかった。
 この情報が分かった毛沢東政府は早速逮捕、弾圧を始めた。アクスで地下組織のリーダであるヤスノフ(Yasinnov),オブルカスム(Obulqasim)、エイカスム(Eykasim)などが大きな冷凍庫に隠れたが、当局は冷凍庫に水を入れて、彼らを逮捕して、ひどい拷問後に刑務所で殺害したのだ。

ホテンゲリラの蜂起

1962年に東トルキスタンのホテン地区に多くの地下組織が成立した。“東トルキスタン連合”組織が成立し、侵略者に反対運動を始めた。ホテン地区カラカシ県の青年は“東トルキスタンゲリラ”組織を作り、トゥルスン.ハピズ(Tursun Hapiz)の指導下に武装蜂起を起こし、他の県のゲリラと連絡している間にばれて、大捜査、逮捕が始まったのである。東トルキスタンゲリラ組織は武器、馬などの家畜やその餌、資金、服装まで用意していた。当局がウルムチ、カシュガル、チベットから多くの部隊を派遣し、今回の蜂起を弾圧し、農村の隅まで捜査し若い男を殆ど逮捕し殺害したのである。不満の国民を現場で射撃したのである。

カシュガルの“犯人”の蜂起

カシュガル地区ヤルカンド県の東にあるペイロ(中国語で牌楼)労働改造所は東トルキスタンの大きな刑務所であり、地下刑務所だけに1万人の政治犯が入れられている。東トルキスタン各地から2万5千人の政治犯が入れられているのである。
1964年東トルキスタン人民革命党の中央委員会がカシュガルに移って秘密な武装蜂起の準備をした。“団結月刊”、“独立新聞”及び他のビラがこっそり発行されたのだ。当時にカシュガルの当局の政府の中に人民革命党のメンバーが地下運動を続けていたのだ。人民革命党は10万人の蜂起を起こす、120箇所のガソリンスタンドを爆発させる、ペイロ刑務所の政治犯を開放し、武器を配るか計画を立てなのだ。カシュガルでカディル.サウット(Qadir Sawut)が蜂起の指導者に決められたのだ。カディル.サウットの手配に従って、1965年8月にパルタ.ムハメットイミンがペイロの刑務所のいる政治犯に300本の鉄砲を配ったのである。パルタ.ムハメットイミンは刑務所の警察だった。彼は刑務所にいる“東トルキスタン風”組織のメンバーに武器を配ったのだ。間もなく刑務所は侵略者警察から解放された。この事情が分かった当局はカシュガル市から600台のトラックで侵略軍を派遣し、刑務所を包囲したのだ。援助のゲリラがまだついていないうちにゲリラは侵略軍の4千人の兵士を殺し、北京政府をショックにした。戦い中は37人のゲリラが犠牲した。ゲリラのトップであるセイット.ニヤズ(Seyit Niyaz)、ムハメットイミン(Muhemmetimin)、スディックジャン(Sidiqjan),バラットハジ(Barat Haji)などの革命者が逮捕され、刑務所で殺害されたのだ。それからカシュガル地区で数ヶ月侵略者の国家テロが続いていたのだ。
(続く)

東トルキスタン情報センター
ウイグル太郎
2004年4月5日
 


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