東トルキスタンとその人口
東トルキスタンはユーラシア大陸の中央に位置する。面積は1828418平方キロメートルで、日本国の約5倍の広さがある。しかし侵略者中国政府は東トルキスタンの面積を165万平方キロメートルだと発表している。
現在では侵略者中国の西北に位置し、無理やり中国の版図に入れられているが、東トルキスタンはウイグル民族の国家というのが正しい姿である。
東トルキスタン共和国の地図

東トルキスタンは、東に中国、西北はモンゴル共和国、北はロシア、西北はカザフスタンとキルギススタン、西はタジキスタン、アフガニスタン、西南はパキスタン、カシュミル、南はチベット、インドと国境を接している。国境線は5700km以上である。
東トルキスタン国土の北部は(東西)アルタイ(Altay)山脈があり、中部を東西にわたってテンリタグ(Tengritagh天山)山脈が横切っている。西南にコルム(Qurum、中国語への音訳は崑崙)山脈とカラコルム(Qara
Qurum)山脈があり、東南にアルトゥン(ウイグル語でAltun“金”の意味)山脈がある。
アルタイ山脈とテンリタグ山脈の間にジュンガル盆地がある。ジュンガル盆地にはクルバン・トングット砂漠があり、石油資源が豊富である。
テンリタグ山脈の南はタリム盆地で、その中央はタクラマカン砂漠である。タクラマカンは世界レベルで石油資源に恵まれた砂漠といえる。
テンリタグ山脈の東南、クムル(Qumul,中国語でハミと呼ぶ)も含めた土地に広がるのはトゥルパン(Turpan、日本語では中国語の真似をして“トルファン”と呼んでいる)盆地であり、石油と天然ガスが豊富である。
テンリタグ山脈の北側の土地は肥沃で、年間平均降水量は250mm以上であり、耕地も草原もある。中国侵略者は1956年から、侵略軍、生産建設兵団の保護のもと、中国から多くの人口をこの地域に流入させた。東トルキスタン国民の土地、草原、灌漑用水を奪い、侵略者にただで分け与えたのである。
テンリタグの南はオアシス、砂漠、高原などで、タリム盆地の年間降水量は100mmしかない。トゥルパン盆地の降水量はわずか15mmしかないのである。
降水量の少ないテンリタグの南側に住んでいるウイグル人口が多いのである。
東トルキスタンの人口問題
中国侵略者は1950年代から北京政府の“利益に合わせて”、捏造された東トルキスタンの人口数を公開してきたのである。
1950年代から東トルキスタン国民の耕地、草原、バザル、果樹園、公園、自然資源、財産、灌漑用水とその使用権などを奪って“土地と地上、地下の全ての資源は国家に属すものだ”という侵略、強盗法律を決めて、中国から侵略軍と漢族人口を移住させ、彼らに上記の土地、資源などを無償で提供してきた。
侵略者政府は漢族を東トルキスタンに移住させる、東トルキスタン国民を失望させる、頻繁に行なわれる弾圧によるウイグル族の死者を隠す、海外からの調査に“合理的な数字”を用意するなどの目的で東トルキスタン国民の正確な人口を隠してきたのである。
だから、ウイグル民族の人口は侵略者政府が今公表している9百万人から、各国の研究者による3500万人という数字まで、さまざまな説が唱えられているのだ。
ウイグル民族の正確な人口を口に出すと政治犯になり、処罰されるのである。
1990年6月に中国とその植民地で人口調査が行われた。ウイグル民族の人口はわずか700万人だと発表されたのである。
1991年、中国語で出版されたばかりの“中国地方誌集”がウイグル語に翻訳され、その編集に新疆大学文学部の教授、中国政治協商会議の委員、統計者、作家のトゥルスン・クルバン(Tursun
Qurban)が配された。
編集中トゥルスン・クルバン教授は、1990年の時点で東トルキスタンのウイグル人口は農村部だけで1300万人以上、都市部を入れると1865万人以上であることを指摘し、まずは知人と検討してから、ウイグル自治区政府に報告した。これにより、トゥルスン・クルバン教授は共産党委員会によって、早々に教授職、文学部の職務、中国政治協商会議の委員などからはずされ、新疆大学図書館の清掃係にされてしまったのである。
“中国地方誌集”の中国語版は早速出版停止になり、ウイグル語版も停止され、後から共産党中央委員会によって統計数字の辻褄が合わされてから再出版された。
かつての大陸の国民党政府と中国共産党侵略者政府が公表した統計ではウイグル民族の人口は下記のようである:
1900年: 3,291,145人、東トルキスタン人口の97%
1949年: 8,500,000人、東トルキスタン人口の93%
1979年: 5,641,593人、東トルキスタン人口の45%
1982年: 5,986,869人、東トルキスタン人口の45.5%
1992年: 7,302,178人、東トルキスタン人口の47%
1996年: 8,746,379人,東トルキスタン人口の45%
上記の統計を見ると、戦争が終わった1949年当時の850万人(93%)のウイグル人が43年後の1992年7,302,178人に減ったのである。
1992年、東トルキスタンのほかの民族の人口:(当局の統計による)
カザフ族: 1,154,864人
回族: 705,200人
キルギス族: 147,400人
モンゴル族: 144,209人
タジク族: 35,171人
シボ族: 35,047人
ウズベク族: 11,849人
満州族: 17,986人
ロシア人: 8,355人
ダグル族: 5,609人
タタル族: 4,071人
実は1996年のウイグル人口は下記のようである:
東トルキスタン国内: 2300万人
カザフスタン、キルギスタン、ウズベクスタン: 計250万人。
サウジアラビア、トルコ、アメリカ、オーストラリア、ドイツ、スウェーデン、スイス、ノルウェー、イギリス、アフガニスタン、パキスタン、インド、ロシア、ブルガリア、モンゴル、日本、エジプト、カナダ、ホーランド、シリア、マレーシア、中国、香港、台湾などの国家及び地区で生活しているウイグル人口は100万人以上である。
つまり、1996年のウイグル人口は26,500,000である。
ウイグル民族の人口は中国共産党侵略者によって数字を操作されている。しかし、たとえ2650万人が1000万人だったとしても、侵略者を追い出して、東トルキスタン共和国を独立させるのに十分な人口がいる。
ウイグル太郎
東トルキスタン情報センター
2004年5月14日 |