東トルキスタンのグルジャ市で中国当局との衝突が起こった
東トルキスタンでは紀元後926年からイスラム教が信仰されてきた。しかし、中国共産党の占領下に入ってから、青少年にイスラム文化を教育することが、当局によって制限されていった。中国の憲法には「宗教信仰は自由だ」と書いてあるが、それは書いておくことに意味があるだけである。そう書いておけば、宗教政策や人権無視を他国から批判されても、「憲法にこう書いてある」と言い返せるというだけのものである。実態はそれとは程遠い。
現在ではモスクにイスラムを学びに行った青年は、ブラックリストに入れられて、折に触れて逮捕されている。
1997年2月5日、東トルキスタンのグルジャ市でも同じように、イスラム暦で9月のラマダン月(断食)に行なわれるモスクでの勉強会に参加した若者が逮捕されていた。
1997年2月5日、東トルキスタンのグルジャ市で無実の罪で逮捕されたウイグル青年の釈放を要求して、600人以上のウイグル人がデモをした。中国当局は武装警察、公安警察、安全局の警察など武装部隊を動員し、デモに参加したウイグル人400人以上を逮捕した。そのうち百数十人のウイグル人男女を刑務所の大部屋に入れ、全員の服を脱がし、裸にし、冷たい水をかけて、ドアを閉めて放置したのである。天山の北側のグルジャでは、2月の夜間の気温はマイナス20度にも達する。その夜数十人の若い男女が刑務所で凍死してしまったのである。
子どもたちを逮捕されたグルジャ市民は集まって、グルジャ地区政府や公安局の前に行って、無罪逮捕の青年を解釈するように要求したのであるが、70歳以上の老婆まで強制的に軍事トラックに乗せられ、刑務所に入れられたのである。
中国侵略者の耕地、草原、都市、灌漑用水、自然資源への侵略に怒った東トルキスタン国民は、常に侵略者を命を賭けてを追い出そうと考えている。
当時、グルジャ地区道路補修会社で働いていたアブドゥウェリ(Abduweli)もデモに参加した。彼は地下組織のメンバーであり、侵略者を襲撃するために密かに準備していた。デモ後、当局はデモ参加を名目に彼を逮捕するために、解放軍、武装警察、公安警察など大部隊を彼の自宅まで派遣した。しかし、彼が武装していることを把握していたため、彼らはなかなか近づけなかった。何しろ銃声を聞いただけで本国まで逃げ帰る国民性である。
そこで、普通の民家に過ぎない彼の自宅を戦車で襲撃し、人間も、家畜も殺し、家を破壊したのだ。
2月6日のデモに参加して、弾圧で怪我したお婆さんを病院に運ぼうとしたテクシーの運転手を逮捕し、タクシーを没収してしまったのである。
実は、グルジャ事件の前にウルムチの地下組織はウルムチ市の西山に無線を用意し、東トルキスタン全国で侵略者への抗議運動を始める計画を立てていた。東トルキスタン国内は、中国政府によるインフラ整備が後回しにされていて、1997年当時電話回線が十分ではなかった。農村では全く電話のないところも多く、都市部でもすべての家に電話があるというわけではない(だから携帯電話がすぐ普及したのである)。それにその電話も盗聴されている可能性が高い。 そのようなわけで、無線を使わざるをえなかったのだ。
グルジャの地下組織もこの計画に参加していた。当初から難しいものはあったが、やはり無線を侵略者に傍受されてしまった。ウルムチにある地下組織の3階建てのアジトが包囲され、侵略軍による攻撃がはじまった。
このことを知ったグルジャの組織のメンバーは、一刻も猶予ならんと武装蜂起をはじめた。こうして2月5日にグルジャ革命が始まった。彼らは役所を制圧し、武装警察を襲って武器を調達するなどの計画を立てていた。地下グループが集まった郊外の住宅まで武装警察らが軍事トラックで来て、武装衝突が始まった。この衝突は2月8日まで4日間続いたのである。
当局は事件後、東トルキスタンのイリ州に対する政策を変えた。中国からの侵略軍部隊を増強し、グルジャ市の周辺に配置した。
グルジャ革命のリーダーのアブドゥヘリリ・アブドゥミジット(Abduhelil Abdumejit)は2002年10月17日にグルジャの南のチャプチャル県の水刑務所で3年間の拷問の末殺害された。
http://www.uygur.org/japan/et/2003/02/05.htm
にも載せたが、2003年1月30日から2月4日の間に、東トルキスタンのグルジャ市で警察当局が250人のウイグル青年を逮捕した。
2月5日と6日の2日間で、合計600人以上のウイグル人が殺害された。1997年2月5日のグルジャ市でのデモ以来、中国当局はイリ地区だけで6万人以上のウイグル人を逮捕し、イリ地区内にある地方政府や中央政府管理下の生産建設兵団の裁判所などで合計1500回もの裁判を行なって、弾圧を続けてきたのである。
6万人のうち5万1千人以上が政治犯である。1997年2月5日から今年までに、アブドゥヘリリ・アブドゥミジティをはじめ、デモ参加者やデモに“関係のある”イブラヒム・イスマーイル(Ibrahim
Ismayil)、アブドゥミジテイ・アブリミテ(Abdumejit Ablimit)(いずれも20代の男性である)を逮捕、ほかにも疑わしいというだけで8000人を逮捕し、刑務所内で虐殺した。
1997年2月5日から2003年の初めまでに、グルジャで政治犯とされたウイグル人のうち、1万人が1~10年の懲役、1万4千人以上が10~20年の懲役、8000人以上が死刑や刑務所内で虐殺され、遺体さえ家族に返されず、郊外の急ごしらえの墓地に服のまま、血まみれのまま深く埋め、墓参りも禁止し、警察が監視しているのである。
2003年2月5日はグルジャ革命6周年記念日で、その前夜は中国人の春節にあたり、当局は東トルキスタンのイリ州全体での報復行動を恐れ、軍隊、警察などを総動員し、戒厳令をしいた。
彼らは昼夜を問わず町を巡回し、ウイグル人の住宅を捜査し、6年前デモに参加したウイグル人の親戚などを逮捕したのである。当局は今年も逮捕を続けている。
この他にグルジャのテレビでは、武装人員が(武器がウイグル人に取られて、報復されないように)公衆の場所に出来るだけ行かないように、行っても武器を持っていかないようにとの報道をした、全ての労働者は春節の前後に勤め先を離れられないように当番制度を実施するように命令したのである。
今年の逮捕は7年前のデモ参加者や、刑期が終わって釈放されたウイグル人全員を無条件に再逮捕するものであった。
世界でウイグル人ほど酷い圧迫とファッショ的な弾圧を受けている民族はない。東トルキスタンのウイグル人は中国当局の残酷でファッショ的な弾圧を忘れることはできない。これらの酷い差別、弾圧から解放され、自由、民主、独立の東トルキスタン共和国建設のため、命をかけて闘争する。
しかし、世界の国々の政権は国連常任理事国であったり、“世界の市場”“世界の工場”であったり、大国顔をして小国に援助をしたりする中国の共産党政権に遠慮するばかりで、私たちの民族弾圧を正視してくださらない。この問題は国連のテーブルにもあげてもらえないのだ。
グルジャ革命の後、中央アジア、トルコ、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアにあるウイグル組織は、毎年中国大使館、各都市の総領事館の前で中国侵略者の民族弾圧に抗議のデモを行ない、グルジャ革命を記念してきた。日本の国民のみなさまにも私たち民族の現実をもっと知っていただきたい。私たちは麗しいシルクロードの民族である以前に、悲惨なジェノサイトの犠牲者なのである。
グルジャ革命の後に今まで東トルキスタン各地で色々な抵抗運動が続いているのである。これらの事実をこれからの文章で少しずつ紹介していきたい。
ウイグル太郎
東トルキスタン情報センター
2004年4月28日
|