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         東トルキスタン情報センター  2004        

              | |  東トルキスタン  | |  中国  |   |  台湾  | |   国際 | |          
2004年4月26日

弾圧への報復、そして再び弾圧……
流血のスパイラルが続いている


 1990年以降、中国侵略者の民族差別、弾圧を世界に知らせ、中国侵略者によるエスニッククレンジングを阻止し、東トルキスタン国民にファッショ政権に対する反対運動を広げるために、地下組織および報復グループがときには堂々と、時には秘密裏に爆破などの抗議行動を行なってきた。

 中国独裁政府は国家テロ政策を実施し、ひどい民族弾圧、集団逮捕や殺害を行なっているのに、これらのファッショ行為を中国国内にも海外にも伏せて、情報をコントロールし、東トルキスタン国内でも隣の県にも知られないようにしてきた。ウイグル民族の声はどこにも届くことはなかった。

 東トルキスタン内で起こる数々の抵抗運動や抗議行動は、特別な例をのぞいて報道されることはなかった。電話もいちいち盗聴されていたり、地域間の検問が厳しかったり、密告が奨励されそこらじゅうにスパイがいたりするような状況では、これらの事件について口にすることもはばかられた。しかし、それでも東トルキスタン国民は、口コミで情報を伝えようとしてきた。
 このように東トルキスタン人に対する監視がきびしく、通信インフラにも制限が多いため、なかなか東トルキスタン全地域での一斉蜂起などは実現しない。また、東トルキスタン人は、武装蜂起の準備などができないように、収入を抑えられ、貧しさの中にある。しかし、各地区でパルチザン的な、侵略者を寝かせてあげない抵抗運動が多数起こっている。

 しかし、それも新たなる弾圧を生みだすだけとなっている。いったい私たちのこの苦しみはいつになったら世界の人々の目に触れ、救いの手が差し伸べられることになるのだろうか。

 以下に90年代の数々の報復・抗議行動と、その弾圧の負の連鎖を掲げてみる。

1992年2月28日
 恐らく地下組織によるものですが、アクス地区クチャ県城で大きな爆発事件が起こった。
1992年7月

 カシュガル、ホテン、アクス地区で罪状もはっきりせず、証拠もなく逮捕された500人以上の政治犯が、地方刑務所からウルムチにある大きな政治犯を入れる刑務所に移され、質問、拷問が行われた。

1992年9月27日

 地下組織のメンバーが東トルキスタンのクムル(ハミ)を通る鉄道を爆発した。2週間以上中国と東トルキスタンの間の交通が麻痺した。

1993年2月

 東トルキスタンのホテン地区グマ県に駐在する侵略軍に、1人のウイグル人兵士が配属された。彼はもちろんイスラム教徒であるから、重要な金曜日の礼拝をしたが、これを漢人兵士たちに侮辱され、ばかにされた。怒った彼と漢族の間で口論となり、ついに鉄砲で戦いあいとなったが、相手は複数、結局一方的にリンチされ、亡くなってしまった。

1993年6月17日

 カシュガル市の十字路の南にあるボスタン(オアシス)ホテルの前で大爆発が起こった。多数の死傷者がでたが、犯人は見つからなかった。当局は代わりに多くの罪のないウイグル青年を逮捕して罰した。

1993年6月17日

 カシュガル市セメン(色満)ホテルの前にある“カシュガル地区農業機械会社”の4階建てのオフィスビルが爆発された。農業機械会社の一階は中国建設銀行の支店があった。銀行員3人死傷、7人負傷者が出た。爆破の後、6階建に改築し、現在では“華僑ホテル”として営業している(写真参照)。


カシュガル市セメンホテル(Semen Mehmanhanisi)の前の“カシュガル地区農業機械公司”

爆発してから、セメンホテルの2号館の通り側の窓ガラスが割れてしまったのである。ホテルに中国人も、外国人も泊まっていたが、当局は顔を赤く染めて、何も発表しなかった。

  ウイグル自治区公安庁、安全庁、カシュガル地区公安局、カシュガル市公安局など連合警察集団が5年間捜査して、1998年に“犯人”のウイグル人を逮捕した。

1993年7月5日

 当局はカシュガル、ホテン、アクス地区でアブドゥルヘキム・メフスム(AbdulhekimMehsum、宗教家)の教え子であるという、それも疑いだけで、300人以上のウイグル青年を逮捕し、各地区の刑務所に入れた。

1993年8月11日

 カシュガル市でアリムジャン(Alimjan)など5人のウイグル青年がカシュガル地区司法局に入り込んでピストルと弾を入手し、ウイグル人を弾圧する指揮権を握っていた5人の年配の漢人指揮官を射殺した。その日のうちにアリムジャンが殺害された。ほかの4人は後ほど逮捕され、死刑となった。

1993年8月

 ホテン地区文化局の前で爆発があり、漢族が巻き込まれて死亡した。

1993年8月10日

 東トルキスタンのクムルのグループが中国と東トルキスタンの間の鉄道を再び爆破した。

1993年12月22日

 トルファン市のデパートの前で、自転車などが爆破された。

1993年12月

 東トルキスタンのコルラ地区は香り梨と呼ばれる梨が名産である。コルラのウイグル農民はこの梨を売って生活している。当局はコルラの梨を輸出するといって、ウイグル農民にバザルで売ることを許さなかった。農民は対外貿易会社が買い付けに来るのを冬まで待ったが、結局来なかった。多くの梨が腐って、大きな損害が出たのである。

 ウイグル農民は大切な梨の木を切ることで、当局への無言の抗議に替えた。

1994年3月18日

 ウルムチの北側の六ダワン刑務所がある。東トルキスタンでは刑務所が学校より多いといわれている。六ダワン刑務所は政治犯を入れる大規模なところで、正式な名前は第一刑務所である。この7号室に入れられたオブリカスム(Obulqasim)など4人が、刑務所のファッショ警察にひどい拷問をされた。彼らはこれに抗議したために、4人とも機関銃で射殺された。刑務所の壁は彼らの血で赤く染まった。刑務所のほかのウイグル政治犯が皆、格子越しに見ていた。

1994年7月18日

 夜中に東トルキスタンのアクス地0区検察院のビル、アクス地区トクス県計画生育委員会オフィスビル、クチャ県の南にあるウチ・オステング(Uch Osteng)河の橋などが同時に爆破された。アクス市内の銀行に置いたダイナマイトだけが爆発しなかった。

 当局はさしたる証拠もないのに、疑わしいというだけで1084人を逮捕したのである。

1994年8月1日

 アクス地区トクス県の刑務所が爆破された。

1995年6月6日

 ウルムチ市の紅山公園の上に、東トルキスタンの、ブルーの地に白い三日月と星をあしらった国旗が掲揚された。
(続く)

ウイグル太郎
東トルキスタン情報センター
2004年4月26日
 


© Uygur.Org  26/04/2004 14:38   A. Qaraqaş  日本語メール: uyghuristan@hotmail.com