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東トルキスタン情報センター 2004
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2004年3月31日 |
東トルキスタンの50年の独立運動史(3)
中国共産党侵略者の顔つき
実際、1949年末に共産党の解放軍がに東トルキスタンに足を踏みいれたときは、彼らは国民党の残党を掃討するという名目を掲げていた。1950年には、掃討が終わったらすぐ本土へ戻ると断言している。しかし、1951年になるとその“顔つき”が見えてきた。
まず、民族軍を解放軍に合併し、第5軍に“改名”した。軍は解体させられ、指揮官や兵士は、各地区に分散させられた。
また、人民解放軍が最初に東トルキスタンに来た時は、ウイグル人の家の前を掃除したり、水を運んだり、“優しい姿”を見せたが、東トルキスタンの単純で、人間らしい国民はそれに騙されて、“同じ漢人でも国民党とは違う”と思うようになった。私たちは罠を踏んだのだ。
漢民族侵略者の本当の顔つきがようやく分かった民族軍の指揮官、兵士たちは、すでに解体させられていたものの、全国で国民に呼びかけ、侵略者を追い出す革命を始めた。
そして、グルジャで民族軍の指揮官だったヤクップ・ラフマン(Yaqup Rahman)、マリック・ハジ(Malik Haji)、イディリス(Idris)らが武装蜂起した。東トルキスタンに中国侵略軍を連れてきた王震(Wangzhen)が、1951年4月12日これらを制圧しようとし、ウルムチでクルバン・コダイ(Qurban
Qoday)、ムハメットイミン(Muhemmetimin Chinggizhan Damolla)、セイット・アフメット(Seyit Ehmet
Hoja)、アブドゥッラ・セミディ(Abdulla Semidi)、ハムット・ハジ(Hamut Haji)、ヌルベッグ(Nurbeg)、パシャ・ベグ(Pasha
Beg)、前出のオスマン・バトゥル(Osman Batur)、ジャニムカン(Janimqan)など200人以上の革命者を殺害し、1000人以上を逮捕した。
グルジャでアブドゥゴプル・サビルハジ(Abdughopur Sabirhaji)団長、クルバンジャン(Qurbanjan)団長、イリドゥルム・メフスット(Yildirim
Mehsut)、蜂起の指導者だった前出のヤクップ・ラフマン、マリック・ハジ、イディリス、コルガス県でホシュル・メメット(Hoshur
Mehmet)、セイット・ハジ(Seyit Haji)、カズバイ(Qazibay)、ベクリ・ガーズィ(Bekri Ghazi)、アブドゥゲニ・ガーズ(Abdugheni
Ghazi)、シホ(中国語で烏蘇と呼ぶ)県でネスルディン・ハキム(Nesirdin Hakim)など1万5千人のウイグル人を逮捕し、殺害した。そのほかに4万人のウイグルを逮捕したのだ。これが中国共産党侵略者、拡張者の本当の顔つきである。
侵略者の重税への反対運動
1952年中国共産党侵略者が東トルキスタンで“土地改革”を行ない、ウイグル農民の土地と財産を奪い、重い税金を課した。当時、朝鮮戦争があったために解放軍の注意が朝鮮に向けられた。このチャンスを狙っていた東トルキスタン国民は、各地区で独立運動を広げた。農民による武装蜂起が各地区で起こった。ウイグル農民が税金を取り立てに来た中国人幹部を打ったり、殺したりした。穀物、綿などを強盗に来たトラックを燃やしてしまった。
ウルムチにいる侵略軍のトップだった王震が民族軍の将軍、指揮官などをウルムチに集めて、“政治会議”を行い、コントロールしようとした。同時に王氏は新聞や雑誌などで“覇権者を弾圧する”ことを宣伝していた。つまり民族軍を覇権者呼ばわりしていたのだ。
農村には侵略軍を派遣して全面的な弾圧を行った。一部の農村ではタンク(戦車)を派遣して子どもまで殺したのである。天安門事件で自らの漢族さえ轢き殺した共産党だが、同様に私たちの民も轢き殺されてしまった。
ウイグル革命家、インテリ、知事、民族軍の将軍、指揮員、教師、医者などが人々の前で公開処刑された。1952年当時30万人のウイグルが弾圧されたのだ。そのほかに逮捕されたのは12万人である。ゲニ・バトゥル(Gheni
Batur)、アブドゥレシティ(Abdureshit Mewliwi)、アブリズ・マフスム(AblizMehsum、今年3月に紹介した《43年間、収監された人物》 http://www.uygur.org/japan/et/2004/0312.htm )、オメル・ダモッラ(Omer
Damolla)などが逮捕された。
当時、ファッショ王震氏が“猿を殺して、虎を怖がらせる”政策を宣伝していたのだ。
毛沢東政府がこれらの事件を粉飾して、“階級の敵を増やした”との罪名で、王震を北京に転職させたが、実はウイグル民族を弾圧した功績のために中央政府の副主席に任命したのである。
1955年侵略者政府が漢人と全く違う民族の国家である東トルキスタンに“新疆ウイグル自治区”という名前をつけて、民族問題を“解決”し、自らの野望を隠そうとした。“新疆ウイグル自治区”という名前は中国国内では中国は正義であり、その“偉大さ、寛大さ”を表示する政治宣伝で、国際的には自らの政権を守りながら、他民族を圧迫、弾圧、消滅する野望と行為を隠すプロパガンダであり、東トルキスタン国民にとっては自治があるかのように心理的に騙す行為である。“新疆ウイグル自治区政府”とは北京が作り出した傀儡政府である。
1955年8月にカシュガルの西北にあるウルグチャット(Ulughchat)県で、東トルキスタン共和国民族軍大砲団のジャナヨフ(Janayov)が300人を率いて蜂起した。彼は同県内の中国侵略者政権の公務員、警察、軍隊などを攻撃・せん滅し、解放したのだ。しかし、ジャナヨフは捕虜となり処刑、オメロフ(Omerov)が懲役20年となった。
(続く)
東トルキスタン情報センター
ウイグル太郎
2004年3月31日
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