中国当局はカシュガル市内でウイグル住民を強制引越しさせている
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カシュガル市グゼルモスク |
カシュガル駅 |
カシュガルの有名な日曜バザルの玄関 |
中央アジアでサマルカンドと並んで3000年の歴史を持つカシュガル市は、長い歴史過程の間に東トルキスタン及び中央アジアの政治、経済、文化、交通、貿易の中心都市になり、またかつては古代シルクロードの要地でもあった。カシュガルというと「ウイグル民族」と連想する。1075年イラクのバグダットでトルコ語大辞典をアラビア語で書いたカハムット.フセインさんは「トルコ語大辞典」の最後に「マハメット.カシュガリ」とサインした。アラビア人,ペルシャ人などイスラム教を信仰している他の民族と一緒に思われないように,祖国のカラハンの都,自分の故郷であるカシュガルをペンネームとして使った。11世紀に「幸せを与える知識」という13290首の長い叙事詩を書いたユスプ.ハス.アジプさんもカシュガルで育ち,今もカシュガル市内に眠っている。
中国共産党政権が東トルキスタンに侵略してきて,東トルキスタンを植民地にして以来,カシュガルの歴史位置が下がり始め,ロシアとイギリスの領事館も北京に移され,170km北のキルギスタンに行くのに5000km東の北京に行ってキルギスタンのビザを取って来こなければならない状態に変わってしまった。中国当局はウイグル民族の文化,宗教,言葉,民族身分及びその民を消滅させようと必至になっている。
1991年旧ソ連が解体し,ウイグルの兄弟民族が相次いで独立した。歴史の流れで今度は東トルキスタンの番がやってくるはずである。
1991年旧ソ連が解体した時、中国当局は緊張し,東トルキスタンの各地で毎日緊急政治会議を開いた。その内容は「ソ連の解体は間違いであり,続けて共産主義の道を歩み,ロシア人が全ての植民地の民族を圧迫し,国民の自由を強いて,民主に絶対近づけず,国家の大きさを守るべきで,世界中の資本主義国家の政治制度を変えて,共産主義を世界中に普及させるべきである」ということであった。しかし中国の意志に反し,旧ソ連は解体し,中央アジア各国が独立した。
カシュガル市のすぐ北にあるキルギスタンとの国境が1992年3月19日に観光客にオープンされた。近くのキルギスタンや遥か遠くのロシア,ウクライナーからも、観光や商売を目的にした旧ソ連人が、東トルキスタンのウルムチ,グルジャ,カシュガルに入国し始め,ウイグル人との交流が始まったのである。ウイグルの人々に大きな希望が生まれた。
中国当局は独立したばかりで経済基礎の固まっていないキルギスタンなど中央アジア諸国の「弱点」を利用し,国境をオープンし,辺境貿易、旅行を「発展」させ,また貿易で優先政策を掲げ,「援助」しながら,中国の官僚指導者が中央アジアへ足しげく通ったのである。例えば,1993年李鵬総理大臣がキルギスタンに5千万元(当時7百15万米ドルにあたる)を上げた。このお金は独立したばかりのキルギスタン人を助ける為ではなく,東トルキスタンの独立を応援させないためであり,キルギスタンにいるウイグル人に独立運動を止めさせるのが目的であった。現在でもこう言う汚い商売が続いている。
東トルキスタンに中国から多くの兵隊,移民を流入し,中央アジア貿易をコントロールし,市場を独占し,中国の偽物で儲けることなどを目的とした中国当局は1999年12月6日に鉄道をカシュガルまで繋げて,開通式を行った。開通式には中国全国人民代表大会の委員長の李鵬が寒い季節にもかかわらずカシュガルに来たのである。
初めて来た列車はカシュガル人に戦車を運んで来たのである!その戦車の一部が中国から輸送途中で壊れたので、解放軍の兵士達が数日間かけてカシュガル駅で修復した。その場面を見たカシュガル人は民族の未来,残酷な弾圧を想像しなけばならなかった。当時は外国人の観光客がこの様子を撮影したり,近いうちに戦争があるのかと聞いたりしていた。ウイグル人を殺すために来たことは多分想像もしなかっただろう。
初めて走り出した列車には図々しく「民族団結」の文字が各車両の壁に貼られてあった。列車のウイグル人乗務員が私に言う話に拠ると開通式の前に「鉄道部の内部」で会議があり,「カシュガルは民族分裂主義の多い町,好きな時に蜂起を起こし、列車を爆発させたりするかも知れないから,気をつけてください,一人で市内に行ったりしないで下さい」との指示があったそうだ。
中国当局は鉄道をカシュガルに繋げ,続けてカシュガル市内の東西、南北の道路を拡張して,コンクリートで造りなおしたのである。この現象は一見「カシュガルに投資して,カシュガルの経済を発展させ,カシュガル人に便利な条件を提供してあげる」かのように見えるが,実は黒心の中国当局はウイグル民族の大規模な独立蜂起を弾圧するのに,29kmの軍事空港の滑走路を造ったのである!
カシュガル市に近い郊外にあるネゼルバグ郷(北)、シャマルバグ郷(西)、ドレットバグ郷
(東)や,トックザック県、イエギシェル県の一部の建物,ウイグル人の住宅,肥沃な耕地,学校などを中国の軍隊,兵団機関、兵団の会社などにかり上げ,ウイグル人を強制的に遠くに引越しさせ,ある所では安い部屋代を払って,ある所では一銭も払わずに祖先から遺産として残された家から追い出したのである。
最近,中央アジア及び世界で有名なカシュガルの日曜バザルの西側(トゥメン河橋から西)のウイグル人の店,住宅などを壊して、温州から来た中国人流民商人にその土地を安く売る計画を立てて,持ち主のウイグル人を郊外に追い出し,もし期限内に引越ししなければ,ブルトーザーで壊してしまう,と脅かしている。
カシュガルの目立つところであるこの土地をウイグル人から奪い取り,中国人の侵略者商人に安く売るというのは何を意味するのだろうか。中国当局のこの「知らせ」を聴いたウイグル人は抵抗しているが,もし早く引っ越ししなければ共産党の政策に反対したとの「罪」で,強制的に家を壊し,一銭も払わない,と言っているのだ。
中国人は東トルキスタンの一番美しい土地を多く占領して,汚い,文明なしの中国人移民を移住させ,綺麗な東トルキスタンの土地に汚染を起こしている。中国当局は各地でウイグル人を追い出してきた。それでもまだ足りず東トルキスタンの古都で,アジア及び人類文化の発展に力を入れた学者を育てた町,ウイグル民族の揺り篭の町であるカシュガル市のウイグル人をも自宅から追い出して,中国人流民のためにその土地を取り上げようとしている。
海外にあるウイグル組織や海外に住むウイグル人、国連,ユネスコ、及び世界各国の政府,組織などにこの事実を伝え,中国政府や中国人の野望を止めさせ,シルクロードの古い町カシュガルを自然のまま守るように努力して頂けるようにお願いします。
カシュガル及び東トルキスタンの土地を中国人の匂いがしないように守りたい気持ちである。
ウイグル太郎
東トルキスタン情報センター
2003年1月12日
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