中国人とウイグル人
中国共産党が東トルキスタンに侵略して以来、一連のひどい大規模な血なまぐさい大虐殺が行われ、その被害にあった45万人の東トルキスタン人民が殺された。殺害されたウイグル人の中にはリーダー、将軍、学者、インテリ、農民、商人、学生、婦女、赤ちゃんまでいる。
美しい東トルキスタンは地獄と化し、この地は残虐非道な虐殺をさらけ出し、人類史上最も野蛮で最も恐ろしい、最も恥知らずな場所にされてしまった。
45万という重い数は血痕の数。とはいえ、この数は現在中国人の心の中で、そんなに重要でないのは明らかである。中国人の考えでは、他人が中国を侵略し、他人が中国人を虐殺するのは、恥ずべきことである。しかし、中国人が東トルキスタンのウイグル人を虐殺するのは、敬うべきことであり、とるにたることであり、光栄なことである。中国人の虐殺や中国人のひどい刑罰のことを話しても、それを理解してくれる中国の民主的人物を、私は誰一人として探し出すことができない。我々の名前さえ正しく呼んでくれず、「少数民族」と軽視している。祖先から残された綺麗な東トルキスタンを「新疆」と呼び、それをまた「南疆」、「北疆」、「東疆」に分けて東トルキスタンに侵略してきた中国人だけにしか分からない呼び方で呼んでいるのである。
これはまさに中華民族の二重性格だと私は思う。
十数億の人口を有する民族は、美しい白鳥の湖の上演を見たり、あるいは美しい音楽盛会を観賞したり、また外国人に対して外国語で、彼らが好きな曲を歌ったりするのに時間をさくことができても、きっとあなた方は、これら中国政府に惨殺された東トルキスタン人に花束を捧げる為の時間を割くことはできないだろう。きっとあなた方は中国政府によって創られた死亡記念館に入り、亡くなった東トルキスタンの霊に数分間の黙祷をする為に、自分の尊い頭を下げることはできないだろう?このようなことも何も恐れない!これら東トルキスタン人の命は反対に無情の壊滅を受け、これら東トルキスタン人の尊厳は無情の侵犯を受けた。
ウイグル人の血は流れ、ウイグル人の生まれたこの果てしなく広い東トルキスタンの地に、どうしようもなく流れ、大地の色を塗り替えた。
ウイグル人の血は流れ、東トルキスタンのウイグル人の心の中に流れ込み、なおかつ滅びることのない人類の知能や人間らしさの中に流れ込んだ。しかし、5千年の文明歴史を有する中国人の心の中に流れ込むことは絶対にないだろう。
このとても物寂しい日々、この暴風がうなりをたてるような日々、私はあたかも亡くなった人たちの身内の、助けられなかったと言う訴えと悲しい叫びを聞いた気がした。あたかも彼らが絶望の手を伸ばし、悲しく憤り、私に向けて振りかざしたのを見たかのような気がした。期待することはやはり悲劇であり、結局我々が無感覚になったとき再び繰り返されるのである。歴史は結局我々が忘れた頃にまた繰り返されるのである。中国人の血はロシア人の軍刀、ドイツ人の軍刀、イギリス人の軍刀、日本人の軍刀、アメリカ人の軍刀に赤く染められた。
今は反対に中国人の軍刀が東トルキスタンのウイグル人を血染めにし、チベット人を血染めにし、モンゴル人を血染めにした。中国人は自己の無神経さ、軟弱さ、健忘のゆえに、かつて首切り役人たちを姦淫虐殺の道具に仕立てた。現在この種の無神経さや軟弱さ、健忘は、中国人を駆使し、中国政府のために東トルキスタンで姦淫虐殺叫び喝采させた。遺憾に思うのはこの種の無神経さはやはり引き続き頑固に存在していると言うことである。
20世紀の始め頃にやっと自分達の実権を握るようになった中国人は東トルキスタンやチベットやモンゴルに対する野望を放棄しなければ罪に当たるのではないか。平和、独立、民主、自由に向かった21世紀の世界は中国共産党の野望を絶対許さないだろう。
ウイグル太郎 東トルキスタン情報センター
2003年1月10日
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